光泉法師
2013年6月、雑誌『CEO Club』に本寺院の住職である光泉法師を取材した文章が掲載された。光泉法師は「現代仏教、現代僧侶がいかに時代の先頭に立ち、時代の風潮をリードするか」、「現代企業がいかに健康的に発展していくか」、「企業がいかに仏教の考えを受け入れ、管理をし、企業文化を作り上げていくか」について語った。
光泉法師は次のように述べている。隋や唐の観音菩薩はひげのある男子像であったが、宋になってから、女性信者が多くなって、観音像も次第に変わり、今の女性像になったのである。これは仏教の発展が民衆の需要に応じ、時代の流れにしたがって、「従順に対応する」歴史であったということを明らかにしたものである。このことは今、経済の世界では市場経済に向かって大きく変化することに他ならない。しかし、仏教の「時代への従順」は時代の流れにただ流されるだけではなく、「時代の風潮」をリードすることにある。つまり、高い仏教の道徳水準に立脚し、民衆の智恵を啓蒙し、人々の心を清め、時代の先頭に立つことである。
「企業管理」について、光泉法師は仏教の「因果応報の教え」から開示した。企業家は「人間は皆平等である」との考え方で従業員に接する。そうすると従業員は自分の兄弟や親族のようになり、彼らはその企業家に忠誠を誓い、心から企業家に感謝することになる。こうすることによって、企業全体がより多くの利益を上げることができる。
現在多くの企業家が、いかにして激しい競争社会の中で、心の平和と安らぎを求め、禅を体験し、無念・無欲・無求の心で参禅し、最終的には「心中に佛あり」という境地に達することが出来るかに非常な関心を抱いている。
光泉法師は「月が満ちるとすなわち欠ける」、「水が満ちると溢れる」のことわざでこの道理を開示した。盛りが極まると、必ず衰える。富の蓄積は頂点に達すれば、一部分を社会に還元し、貢献をするべきだ。これによって、同時に、新しい成長が計られる。富を蓄積するだけで、布施を知らなければ、富はただの記号にすぎず、何の実用性もなく、最後にはその財産は全部消失してしまうことになるのである。このような消極的な態度で、その日が来るのを待つなら、いざとなっても、二度と立ち上がるチャンスがなくなってしまうようになると、説かれた。
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